歳を取ったら基準変更、美しく終えるため

【相談者】72歳男性(生涯独身)

両親は既に他界、仕事一筋で生きて来たが12年前に定年退職した。
生涯独身で来てしまったので、今頭が真っ白になっている。
15歳から45年間、仕事に生きがいを見出し、
同じ会社で、ずっと頑張り続けて来て、いざ退職するともう何もない。
生きる目標とか、意味とかも考えつくことすら出来ない。
私は兄弟も居ない独りっ子で、誰も話し相手が無く、
TVや新聞が唯一の話し相手のようなものである。
実に淋しい人生になってしまい、今後の余生をどう生きようかと、
毎日あれこれと考えあぐねている。
同じ年に退職した同期の仕事仲間が、訪ねてくれることもあるが、
彼らは皆家庭を持っているので、あまり無理な誘いも出来ない。
長年仕事の虫であったため、地域社会との繋がりも無い。
体はとりあえず丈夫である。
夜の散歩なども出来るだけ欠かさぬようにし、
心身ともに健康であり続けようと、一定の努力はしている。
目標の無い人生を、これからどう生きたら良いだろう?
せめて最期を看取って貰える配偶者を、今からでも捜した方が良いのか?

幼児教育研究 大原敬子先生の言葉

大原敬子先生

加藤先生の仰った通り、とても声に張りがあって健康そうですね。
人は色々と間違いをしますが、特に私達が間違いやすいのが年齢です。
歳を取った人が年寄りで、まだ年齢を重ねていない人が若い人、
と思ってしまいがちですが、ある90歳の高僧がこう云ったそうです。
「貴方は私を見て、明日お迎えが来るかも知れないと、思っていませんか?」。
「しかし私はそうじゃない、私は永遠に生きる心つもりでいるのです」。
つまり、実年齢よりも心の持ちようが、その人の精神年齢ということです。
私達がつい間違ってしまいやすい事は、人生を「絵に描いたモチ」のように、
都合の良い、身勝手なシナリオとして描いてしまうことです。
家庭を持っている人だって、よく考えてみれば皆独りぼっちなのです。
貴方はこれから看取ってくれる配偶者をと、考えているようですが。
それこそが「絵に描いたモチ」じゃありませんか?
貴方は看取って貰うつもりでも、相手が先に死んでしまうかも知れない。
若しくは、嫌になって逃げてしまうかも知れない。
最後はどうなるかなど、誰にも判りませんよね。
じゃあ、この辺で加藤先生に代わりますね。

パーソナリティ 加藤諦三先生の言葉

加藤諦三先生

今貴方に必要な、大切な言葉があります、それは「価値の相対化」です。
貴方は今、結婚して家族を持つことを唯一の価値と考えています。
家庭を持つことは、多くの価値の中のひとつであって、
そこで「価値の絶対化」をしてはいけません。
独りでいるということも、実は大変大きな価値なのです。
それともうひとつ、「基準変更」です、よく覚えておいて下さい。
美しく人生を終えるためには、「基準変更」と「価値の相対化」です。
家族の存在を否定するものではありませんが、
これから貴方は淋しさから逃げてはいけません。
淋しさから逃げると、もっと淋しくなります。
淋しさと向き合うことで、内面的成熟を獲得することが出来ます。
40代、50代の頃、働くことで収入も、社会的地位も築いて来た。
でもそれらは外面的成熟でした。
これからは自分自身と向き合うことで、内面的成熟を得て下さい。
貴方は元気なのですから、まだまだいい事が沢山ありますよ。

美しく終えるために、歳を取ったら基準変更です

「絵に描いたモチ」に、掌を合わせる男

筆者が思うに
加藤先生の独壇場と言える相談内容である。
当たり前のことであるにも関わらず、なかなか気が付かない事が沢山ある。
人間は独りで生まれ、独りで死んでゆく。
無力な赤ん坊でさえ、裸のまま一人旅でこの世にやって来るし、
例え双子の赤ちゃんでも、手を繋いでやっては来ない。
どんなに仲の良い夫婦であっても、手を繋いで一緒に死ぬ事を「心中」という。
決して幸福な終わり方で無い事くらい、誰でも知っている。
独りひとりに、神様が「運命」を与えて、人はそれに従う事を幸福と呼ぶ。
「価値の相対化」とは、如何にも学者的なものの言い方だ。
それのみが尊いわけでは無い、という発想を持ちなさい、ということでしょう。
「基準変更」について、特段の説明が無かった気がする。
要するに、「独りぼっち」を「淋しい」と捉えずに、
「贅沢」と捉えなさい、ということか?
実を云うと筆者も母が亡くなれば「独りぼっち」になる。
これを私は「究極の自由」と捉えることにしている。
そして今日の相談でもうひとつ知恵を貰った。
究極の自由は時に淋しさを伴う、その淋しさから決して逃げない。
大変良いことを教わった。

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