不幸を美化して生きる 変な宗教に染まるより

【相談者】79歳女性(生涯独身 生活保護受給中)

もう生きていたくない。
生活保護を受給できるのは有り難いが、意味の無い人生が嫌になった。
生きるのに疲れて、体がもうあちこちボロボロで、
でも病院に掛かれば、お金もかかるし、医療費がかさむと世間から後ろ指差されるし、
友達もいないし、もういっそのこと、楽に死にたい。
どうすれば良いか、教えてくれる訳無いと解っているが、電話してしまった。
若い人も自殺すると聞くし、若い人でもそうなら、もう私などどうでも良いだろうと。
アレルギーがあるので、ペットも飼っていない。
趣味なんて、そんなもので癒される人生ならば死にたいなどとは思わないだろう。
子供の頃から死にたかった、実家は商売をしていて、
私は学校へ入る前から、コキ使われていた。
姉が居たが、私同様コキ使われて、嫁いでも破綻して、早くに死んでしまった。
兄も父も母も、みーんな死んでしまった、みんな早死にだった。
仕事には比較的恵まれた人生だったと思う。
若い時は役所に勤めていた、みんな職場結婚だったので、私もそうなると思い辞めた。
結婚などしたくなかった、家の商売柄、酔っ払いなど、醜いものばかり見て育った。
そのために、結婚という事に夢が持てなかったのだと思う。
それからは何をやっても長続きせず、今では座っているだけの楽な仕事でさえ辛い。
本当にこの世の中は、強い人、要領の良い人、能力の高い人しか生きられない。
私のような者はもう生きていても仕方がない、毎日の自殺者数を見れば解る。
自殺する人の気持ちというものが、私は本当に良く解る。
体力も精神力も無く、死にたくとも自殺すら出来ない私は最低の人間だ。
もう人生を終えたい、本当に死にたい、どうすれば良いか・・・。
それで電話したのですが、答えては貰えないでしょうね。

エッセイスト マドモアゼル・愛先生の言葉

マドモアゼル・愛先生

不幸に満ちた人生を、生きてきてしまい、
絶望的な人生を、改善する精神力も無く、もうどうしようもないね。
そして、自分の悩みに答えが無いことも貴方は知っている。
これから幸せになるのは、もう不可能かも知れないね。
でもひとつだけ、良い方法があると思うよ。
それは、自分で自分の人生を受け容れることだよ。
「これが私の人生だ」と、何も良い事は無かったけれど、こうして生きて来た。
この79年の人生は、それはそれで意味あるものに変わると思うよ。
貴方にそれが出来れば、今苦しみ悩んでいる多くの人が救われる。
出来ませんか? 苦しくて変えられませんか? じゃあ仕方がないよね。
人生は毎朝7時に起きて散歩するだけで変えられますよ。
でも貴方はそれすらやらずに、変えられないと決めつけている。
やりもせずに否定する、この矛盾は何処から来ると思う?
誰かに助けて貰って人生を変えようとして来たからだよ。
だから苦しいんだよ。
それが解っていて、それでも変えられないなら、もう不幸を受け容れるしか無い。
私の人生は、とても不幸な人生だったと・・・。
受け容れられれば、もう何にも苦しい事なんか無くなるよ。
人間は何故70年も80年も生きるのだろうか?
輝かしい時だけで良いなら、20歳、30歳で死んじゃえばいいじゃないですか。
でも人生は違う、例え幸不幸の違いや、多少の社会的不公平はあれど、
それぞれの人生にはちゃんと意味があることを、それを知るために人は生きる。
貴方は生きているのではなく、生かされている。
その役割を担うために、何者かによって生かされて今日まで生きた。
悪いことも、悪くでは無く良い方に解釈すると、人生が違って見える。
誰だってそうやって生きている、それに尽きるのだ。

パーソナリティ 勝野洋さんの言葉

勝野洋さん

79年の人生には意味がある。
それを考えられないなら、もう考えなくても良い。
考えずに感じて下さい。
毎日散歩して、目に映るもの、すれ違う人、動物など、
全てから感じ取って下さい。
人間は何のために生まれて来たか?
幸せになるためです、俺はそう思って生きていますよ。
幸せになるために、苦しい時もあれば、楽しい時もある。
悲しい時だって、それだって幸せになるために必要な事ですから。
どうぞ前向きに。

不幸の着ぐるみを、さっさと脱げ!

筆者が思うに
人生の意味とは何か? シンプルにして超難題を突き付けられた。
キレるかと思ったら、勝野さん意外と食い下がってましたね。
マドモアゼル先生も、「じゃあ死んだら」というセリフが喉元まで這い上がって、
とっさに「仕方がないよね」と、言い換えていたに違いない。
こんな問いかけに答えられる人間はこの世に居ない。
予め答えが解っているくらいなら、誰も苦労して人生を生きないのではないか。
私をこの世に生んだのは、両親に他ならないが、
肉体は両親から生まれても、この肉体に「私」という生命が宿った理由は解らない。
確実に言えることは、両親が私の魂を選んだ訳が無く、
私が希望して、この世に生きることを選択した記憶もサラサラ無い。
「生きている」のではなく、「生かされている」とはこのことか?
ここで、「神様」という目に見えぬ全知全能の存在を持ち出さなくとも、
「身に覚えは無いが、現にここに生きている」という事実で証明される。
何者かによって与えられた人生、辛くとも文句を云うべき「何者か」が見付からぬ。
「きっと答えては貰えない」けど電話して来た・・・、のでは無く、
「死にたい」と云えば「生きよ」と返されることを期待しての事ではなかったのか?
「生きよ」と云われて、「嫌だ」と拗ねれば、それで僅かに救われる。
つまり、「不幸の着ぐるみ」を着た上で、電話を手に取ったのだ。
「私は不幸だ」というストーリーに自分で自分を当てはめる。
79歳、人生も押し詰まって、独りぼっちの影が長く伸びる。
過去への後悔の念と、残り少なくなった人生に、どう別れを告げたら良いのか?
という相談だったのかも知れない、やれやれ・・・。

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