私の中に居る、もうひとりの私

【相談者】53歳女性 夫53歳 長男25歳 長女22歳

長男の「盗撮願望」を止めさせたい。
息子が大学受験に失敗していた頃、高校生だった妹を盗撮するため、
浴室に装置を仕掛けてあるところを、娘が発見し揉め事になった。
その時は、装置を取り上げ、息子に反省文を書かせるなどしたのだが、
その後大学を卒業、就職して独居している部屋を、先日訪ねたところ、
また「小型カメラ」があるのを発見してしまった。
問い質すと息子は、「見つけて欲しかった」と云う。
どうしても盗撮が止められなかったらしく、警察沙汰になる前に発見され、
良かったと言っていた。
娘が今年大学を卒業するが、「兄と同じ屋根の下には住めない」とSOS。
それで息子の方を家から出し、近所に独居させることにした。
幼いころから2人の子供には「清く正しく」を旨に厳しく教育して来た。
私も受験に失敗し、希望の職業に就けなかった過去があるため、
本当に自分でも、一生懸命で教育熱心な母親だったと思っているが、
こんなことになってしまい情けない。
息子の悪癖をどうしたら止めさせられるだろうか?

エッセイスト マドモアゼル・愛先生の言葉

マドモアゼル・愛先生

私の話を受け容れられるかどうか分からないけれど、
やはりどこかに無理があったのではないだろうか。
教育熱心で一生懸命ということは、
息子さんを一生懸命カタにはめようとした、ということだ。
窮屈なカタにはめられた側は、窮屈な分だけどこかが飛び出してしまう。
その「飛び出した部分」が盗撮なんじゃないの?
お母さんの一生懸命は、自分の感情に対する一生懸命であって、
母親として、息子さんの繊細さに対するものでは無かったという事ではないか。
しかしこんなことでは、これまでの一生懸命が水泡に帰す。
これは本質に関ることであって、何かでそこを覆い隠すようなことでは意味が無い。
「見つけて欲しかった」と云う所に既に答えがある。
お母さんに見付けて貰う事に意味があり、お母さんにも関係がある。
これを無視されたら、今度は犯罪となって社会的にも知らしめられる。
ということじゃないの?
貴方の教育熱心は、一流大学へ入るための教育熱心であり、
教育評論家のような、教育熱心なのであり、母親としての愛情によるものでは無かった。
息子さんが発見して貰いたかったのはそこである。
要するに母親の愛情を知らずに育ってしまったことを、知って欲しかったのだ。

パーソナリティ 加藤諦三先生の言葉

加藤諦三先生

貴方は過去の失敗から眼を背けるための、
教育熱心さを息子さんに向けていた。
息子さんも今、何かから眼を背けたいがために盗撮に走っている。
何かとは何なのかは分かりませんが、
眼を背ける限り盗撮は止められません。
「無意識の必要性」によって、盗撮が必要になってしまっています。
丁度貴方が、「教育熱心」であることを必要とされたように、
無意識の中でそれらが必要とされているので、意思の力では止められません。
「本当の自分」に気が付けば、止めさせようとしなくても、勝手に止めます。
だから貴方、息子さんに本当の事を話してみてはどうですか?
受験や就職にしくじって、その失敗から眼を背けるための「熱心さ」だったと。

本当の事から眼を背けると、何かをしないでは居られなくなります

意識のスクリーンに映る、駄目な私

筆者が思うに
希望の大学に入れなかった、希望の職業に就けなかった、
ということが、人生にとってそんなに重大なことだろうか?
それを云っていたら、世間は「挫折者」で溢れていることになる。
全てが希望通りに叶う人生など、何万人にひとり居るか、居ないか。
だからこの相談者は、まだ何か自分に嘘をついていそうに思える。
もっと幼い頃、もっと深刻な劣等感を抑圧してしまっているのではないか?
「無意識の必要性」については、加藤先生の著書の中でも、
「行動と動機」の観点から詳細に述べられている。
抑圧された感情群は、しばしば他者に投影されるという。
漠然とした自己無価値感を否定するため、
息子と云う他者に「清く正しく」あることを要求する。
自分が自分に求めている性質が、息子に投影される。
その映像こそが「現実の要求」にすり替わって、「言い訳」が完成する。
心の奥底にくすぶるコンプレックスから、逃げたいのは自分であるが、
息子を捕えてスケープゴートとすることで、正当化される。
相談者は今50代前半、70代か80代になった頃、
最も深い場所に隠蔽されていた「幼き日の真実」に直面する怖れがある。
動機について、家族の誰もが思い当たらぬ自殺とは、
通常こういうことである。

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