他人の死に接するとき、自分の生きざまに接する

【相談者】56歳女性 親友享年50歳女性(2年前他界)

20年来の親友が他界、受け止め切れない。
30歳の頃に、体を壊して入院生活をしている時に、
同じ病院に入院していた女性と知り合い、以来親友となっていた。
私の方が先に退院したが、彼女の病気については詳細を知らなかった。
或る日突然、彼女から連絡があり、急ぎの買い物を頼まれた。
ヨーグルト、豆乳、タバコ、水など、頼まれた品物を急ぎ買い求め、
タクシーで独り住まいの彼女の家に向かった、既に深夜だった。
彼女の家に到着したが、彼女はドアを開けてくれなかった。
「どうしてドアを開けてくれないの?」と云うと、ドアの向うから、
「ドアノブに手が届かないの」と、返事が返って来た。
「ドアの前に置いといて」と云って、それきり応答が無くなってしまった。
電話を架けても出ないので、致し方なく警察に通報し、一旦帰宅した。
後日、警察から連絡があり、彼女が亡くなったことを知らされた。
彼女は玄関ドアにもたれかかりながら、息を引き取っていたという。
親友の孤独死を目の当たりにし、
普段からもっと気にかけてあげていれば良かったと、後悔の念で一杯だ。
それから2年が経つが、未だに現実を受け止め切れない。

幼児教育研究 大原敬子先生の言葉

大原敬子先生

「ヨーグルト、豆乳、タバコ、水」、普通の人はこれだけでは判らない。
どのメーカーのヨーグルトか? タバコの銘柄は何か?
貴方は全てを知っていたので、この情報だけで買い物が出来た。
このお友達は、普段から貴方に大きな力を与えていたはずだ。
また、このお友達も貴方から大きな力を得ていた。
家族でもない他人に、深夜にこんな我が儘を言えるはずが無い。
彼女は人生で初めて、他人に我が儘を言う事が出来た。
どんな金持ちでも、我が儘が言える相手を持っていることは少ない。
彼女はドアの前で大きな幸福感を得ていたに違いない。
そしてその幸福感の中で、彼女は神様に召されて行ったのだ。
貴方がいつまでも泣いていると、深夜に我が儘を言ってしまったことを、
彼女は天国で悔いるかも知れませんよ。
必要なものを、最小限の情報で揃えてくれる貴方の存在は、
彼女にとって「百万人から愛してる」と云われるよりも、心強かった。
玄関ドアを挟んで、勇気を得ていたに違いありません。

パーソナリティ ドリアン助川さんの言葉

ドリアン助川さん

どんなカタチであれ、人は必ず「最期の時」を迎えます。
不謹慎かも知れませんが、
その御友人はそこが天命だったのでは無いでしょうか。
最期のその時に貴方を呼んだのは、
それだけ貴方は重要な存在であったから。
残念ながらドアを開ける力が残っていませんでしたが、
ドア越しの貴方に、人生と現世への感謝と別れを告げて、逝ったのだと思います。
旅立たれるに際して、少しの不安も無かったことでしょう。
そして今なお、御友人は貴方の中に存在しています。
もし「あそこへ行ってみたかった」など、彼女の希望を思い出せるなら、
貴方が代わりに行ってあげても良いのです。
そのように御自身も、心の整理をされては如何でしょうか?

「喪失感」が心にクサビを打つ

筆者が思うに
身近な人の死は、時として人生に大きな分岐点を与える。
特に親兄弟など家族の死は、長い年月見えなかった真実まで浮彫にする。
葬儀の準備に始まり、一連の行政手続き、相続手続きなどで多忙を極め、
病院からの通告で、或る程度の心構えと準備も出来ていたにも関わらず、
一段落した頃には、肉体的疲労と、心労が重なり発熱した。
「家族の誰かが死ぬと、本当の家族の姿が見えます」とは、加藤先生の言葉。
「本当の家族の姿」とは、一般に相続の際に明らかになる。
それを相談内容とするものが如何に多いか、
拙ブログも、それをカテゴリーのひとつとして、分類しているのはそのため。
今回の相談は、家族では無く「友人」の死。
死に接して初めて存在の大きさを知るのが、友人の死であろう。
相談者が泣き崩れていたのは、まさにその大きさによって空いた穴が原因だ。
筆者もバブルの頃に経験したが、泣き崩れはしなかったものの、
人生の「ひとつの時代」に終止符を打たせたのは、或る友人の死であった。
人は生きている間、誰かに支えられているし、誰かを支えているかも知れない。
筆者は誰を支えているだろう? と考えてもなかなか判然としない。
心に空いた大きな穴、これを埋めるためにクサビを打つ。
気持ちの整理が終わり、亡くなった友人との思い出が蘇った時、
喪失感が心にクサビを打ち終わった合図であろう。

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